日语+平假名:
花 (すべての人の心に花を)
作词:喜纳昌吉 作曲:喜纳昌吉
川(かわ)は流(なが)れて どこどこ行(ゆ)くの
人(ひと)も流(なが)れて どこどこ行(ゆ)くの
そんな流(なが)れがつくころには
花(はな)として 花(はな)として 咲(さ)かせてあげたい
泣(な)きなさい 笑(わら)いなさい
いつの日(ひ)か いつの日(ひ)か
花(はな)をさかそうよ
涙(なみだ)ながれて どこどこ行(ゆ)くの
爱(あい)もながれて どこどこ行(ゆ)くの
そんな流(なが)れをこのうちに
花(はな)として 花(はな)として むかえてあげたい
泣(な)きなさい 笑(わら)いなさい
いつの日(ひ)か いつの日(ひ)か
花(はな)をさかそうよ
花(はな)は花(はな)として わらいもできる
人(ひと)は人(ひと)として 涙(なみだ)もながす
それが自然(しぜん)のうたなのさ
心(こころ)の中(なか)に 心(こころ)の中(なか)に 花(はな)を咲(さ)かそうよ
泣(な)きなさい 笑(わら)いなさい
いついつまでも いついつまでも
花(はな)をつかもうよ
泣(な)きなさい 笑(わら)いなさい
いつの日(ひ)か いつの日(ひ)か
花(はな)をさかそうよ
中文翻译:
河水流淌着,不知道会流向何方
人们也随波逐流,不知道会流向何方
当浪花袭来
希望它象鲜花一样盛开
哭泣吧,欢笑吧
某天的某天
让我们盛开心灵的花朵
泪水流淌着,不知道会流向何方
爱也漂流着,不知道会流向何方
面对浪花
让我们像面对鲜花一样
哭泣吧,欢笑吧
某天的某天
让我们盛开心灵的花朵
一朵鲜花,也会欢笑
一个人,也会流泪
这就是自然的歌声
心中的花朵,心中的花朵,让我们一起盛开
哭泣吧,欢笑吧
让我们把握住那鲜花
直到永远的永远
哭泣吧,欢笑吧
某天的某天
让我们盛开心灵的花朵
花 はな 训読
花 か 音読
フラワー flower
外来语。
2010年6月的互联网使用语言排名中,日语仅次于英语、汉语、西班牙语,排名第四。
在日语语法学界,如果无特别说明,“日语”(日本语)这个词汇,一般是指以江户山手地区(今东京中心一带)的中流阶层方言为基础的日语现代标准语,有时也称作“共通语”。
可以翻译成“插花”,但和中文的插花不是一个意思,日文解释如下:
花寄せは、座敷にたくさんの花入れを置いて、花台や盆に乗せて持ち出した花を、一人ずつ顺缲りに自由に入れていくという稽古です。
能看懂的话就不给你翻译成中文了。
这花很香`: この花の香りがいい。
(このはなのかおりがいい)
`
这花很臭`:この花の匂いが臭い。
(このはなのにおいがくさい)
好香的气味``:いい匂いです。
(いいにおいです)
这味道真香`:この匂いが香ばしい。
(このにおいが香ばしい)
「匂い」(におい)是中国的味道的意思。所以「香味」「臭味」都可以用这个「匂い」。前面加上「いい」「臭い」就成了「香味」「臭味」
味很香的时候也可以说「香りがいい」比如:花、酒、水果··
「香ばしい」是指做的料理里稍带些糊味的香味。比如:炒豆子、炒花生···
私の好きな食べ物
私の好きな食べ物は饺子です。
饺子は中国伝统の食べ物で、よく正月に食べられます。よく日本のお饼と比较されますが、日本でのお饼は正月の食べ物で、正月にしか食べられません。ですが、饺子は新年を祝う食べ物であり、また同时に庶民の食べ物でもあります。街に出ると、至る所に饺子のお店があります。食事时になるとたくさんの人で赈わいます。
中国で、饺子といっても様々な种类があります。一般的には水饺子が食べられます。これは、お汤でゆでたものです。そのほかにも、日本で有名な焼き饺子や蒸し饺子などもあります。
私の思い出の饺子はやはり水饺子です。私の家では、毎年旧正月を祝う际に家族で饺子を作って食べます。子供のころから、饺子を作る时は家事を手伝うのも喜んでやりました。饺子がない正月は正月だという気がしません。饺子は、确かに日常でもよく食べられますが、やはり正月には欠かせない料理です。
我喜欢的食物
我喜欢的食物饺子。
饺子是中国传统的食物,很好地过年吃。经常日本饼相比被较。日本的客户饼是正月的食物,正月只能吃。但是,饺子是过年的食物,也是该时庶民的食物。街上,到处饺子的店。吃饭时成为很多人,赈沸腾。
在中国,饺子说也是各种各样的种类。一般是水饺子吃。这是您的汤煮的东西。除此以外,也在日本有名的烤饺子和蒸饺子等。
我的回忆的饺子还是水饺子。我的家,每年春节庆祝际家人饺子做来吃。从小开始,制作饺子时是帮忙做家务也乐意做了。没有饺子新年正月总觉得不。饺子,确理日常都能吃,可还是正月不可缺少的料理。
欢迎分享,转载请注明来源:浪漫分享网
评论列表(0条)